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助成:(公財)せとしん地域振興協力基金

蚕霊神社こだまじんじゃ

小原地区内唯一の宗派神道の社。初め御嶽大明神がまつられ江戸時代から相当の信者があった。明治20年小原村一円に伝染病が流行し、伊勢神宮外宮より大気都比売命を勧請して蚕霊神社の建立がはかられた。御嶽神社、狐多満稲荷社、招魂碑、天神、大黒天など多数の境内社がある。農業神、蚕の神、殉国英霊。色々なことに通じてよろずの神であろう。

お宝運水おたからうんすい

昔、就業の後バクチに興ずる人々がいました。賭場に通う前に下井戸の水を飲んで行くと「運」がつくと負け知らずだっ た。うわさが広がり井戸の水を飲んで「運」を拾ったと言われている。

星の宮神社ほしのみやじんじゃ

昔、この地に星が落ちてきたので、そこに社を建て、それを祀って「星の宮」と呼ぶようになった。ご神体は隕石であるとい われている。雷が2回ほど神社に落ち、神社に雷が落ちると言う事は神が降りてきて縁起が良いとされています。不思議 なパワーのある神社です。

家康の腰掛石いえやすのこしかけいし

今から400年ほど前、江戸時代の頃、徳川家康公が小原一円の様子を視察に来たときに床几として石の上に座ったと伝 えられています。小原町の賀茂原神社に大人で一抱えほどもある石(150㎏)そのそばに『御腰掛け石」と刻まれた標柱が 建っています。「力石」とも言われています。

おすくい観音おすくいかんのん

1798年建立。この付近では何度となく交通事故が発生しているが、不思議と車の破損の大きさの割には死亡者もなく 軽傷で済んでいる。これは観音様のお救いの賜物であろうと、いつしか「おすくい観音」と呼ばれるようになった。

泥ぶち観音どろぶちかんのん

きれいにしてあげてもすぐに泥の中に入ってしまう観音様がおり、誰も見ていないときに泥をぶつけてお参りすると願い が叶うと言う噂が立ち、泥をぶつけてはお参りする人が絶えませんでした。中でも旅をするときなど、足を軽くしてもらう ため、泥をぶつけてお参りした人が多かったと言うことです。

母生父のお地蔵様もしょうぶのおじぞうさま

仏像の彫り物名人の所にお地蔵様が姿を替え達磨を作ってもらった。名人は子供が生まれる前に死んでしまったが、生 きている時によい仏様をたくさん作ったことで生き返らせてもらい子供と水入らずで暮らすことが出来た。母が子供に父 を生んだと伝えたことから母生父という地名がつけられたという伝説があります。

白鳥神社しらとりじんじゃ

西暦807年、大同2年建立。1208年前に建てられたという古い神社。日本武尊が東夷を征伐した帰りに立ち寄られた。数 日ここにとどまって二本の木を植えて立ち去られた。お手植えされた二本の木にちなんで『にぎ』という地名になった。

六地蔵ろくじぞう

四季桜を初めて小原に植えた藤本玄碩が発願して、6本の道が交差したところに6体の地蔵菩薩像を建立し、地域の 人々の平安と旅人の安全を願った。道向かいには、玄碩が建立した2mは超す南無阿弥陀仏碑がある。

道慈山観音寺(真言宗大覚寺派) どうじさんかんのんじ(しんごんしゅうだいかくじは)

海抜360mの山頂に、西暦820年建立、小原地区で一番古いお寺である。秘仏は十一面観世音菩薩。この観音様 は、あらゆる方向に顔を向けて人々を救うとされる観音菩薩である。又、この観音菩薩は、願い事が良く叶うと云われ、今 でも遠近問わず多くの参拝者がある。他にも賓頭盧様、半僧坊様、も祀られている。

芝神しばがみ

市場城落城の時、お姫様が付近の柴を折り取って全身に被って追手から逃れようとしたが、着物の裾が見え、発見され殺 されてしまった。村人がそれを哀れみ、その場所へ石塔を建て、足りなかった柴を折って供え、霊をなぐさめたのが起こり で、それから足の痛みや疲れにも効があるといわれ、慰霊や信仰のために柴を供える者があった。